ふさふさラジオ

エンジニアのこと、映画のこと、日常を便利に過ごす裏技を発信します!

映画ジョーカーは何故これほど問題視されているのか

なにかと話題になっている映画「JOKER」を観てきました。

f:id:syoburu:20191029011556j:plain 

スパイダーマン、X-MENなどのMERVELと並ぶアメコミ2大巨頭のDCコミックスシリーズに登場するヴィラン(悪役)であるジョーカー。そのジョーカー誕生の物語を描いた作品です。ネタバレを含む感想です。

鑑賞直後の感想

エンドロールを眺めている間に思ったのは「別に観なくてもよかったな」ということだ。アメコミ作品だが派手なアクションが売りの映画ではない。主人公のアーサーがいかにしてジョーカーとなったのかを描く人間ドラマが見所の作品だ。

結末ありきの映画であることはわかっていた。とはいえ何かしら感じるものがあると思ったがこれといった衝撃はなかった。人が死ぬであろう展開でやはり人が死ぬ。淡々としていた。

なにより私はアーサーに同情できなかった。あまたの不幸が彼をジョーカーという悪人に変えてしまったことは理解できるが、ジョーカーの犯罪による報復は過大で理不尽が伴う。思想や理念のもとに犯罪を犯すのではなく手当たり次第に気に入らない相手に手をかける犯罪者に見えた。

ジョーカーは何故生まれたか

アーサーは貧しい。そして不幸だ。母子家庭で母親を介護しながら生活している。アーサー自身も精神疾患を抱えており、発作的に笑いが止まらなくなってしまう。会話もままならなくなってしまう為、病気のこと書いたお手製のカードを携帯しており、それを見せることで理解を求めている。

仕事はピエロの派遣会社に勤務しているが、勤務中に街の不良にボコボコにされたり、それをボスに叱責されたりとうまくいかない。挙げ句の果てに自分のミスで仕事を失ってしまう。

その仕事の帰り道、エリートサラリーマンに絡まれた際に最初の殺人を犯してしまう。自己防衛と衝動性にかられた行動でありこれに関しては同情も理解もする。ただこれがアーサーと街全体を変えてしまった。

貧困にあえぐ民衆はエリートサラリーマンが被害にあったというだけで謎のピエロを崇拝した。アーサーは初めて満たされた承認欲求に酔いしれる。コメディアンとして舞台に立ち観客を笑わせた。親しくしてくれる女性もできた。

唯一の肉親である母親の裏切りを知ったアーサーは母親を手にかける。そして今までの幸せな記憶(舞台での成功、親しい女性の存在)が妄想だったことに気づく。そこからは手当たり次第に気に入らない人物を消してゆく。

最後に、憧れていたテレビ司会者を生放送中に殺害し逮捕されることになるが、それが悪のカリスマとしての地位をさらに高めることになった。アーサーも街の民衆も完全に壊れてしまった。街は貧民層の民衆による暴動が激化してしまう。この暴動の中で、のちにバッドマンとなる少年の両親は殺されてしまう。

ジョーカーが群衆を変えたのか、アーサーを崇拝する群集心理がジョーカーを産んだのか。どちらが先かはわからない。

なにがこれほどに問題視されているのか

この映画から「ジョーカーは既成のキャラクターである」ことを除いて短絡的に説明するとこうなってしまう。

「精神疾患を抱えた人間が都合のいい妄想にかられ、逆恨みした相手を片っ端から手にかけた。」

否が応にも京都アニメーションの事件が頭に浮かぶ。ジョーカーとなったアーサーが守るべきものは自分だけだ。自分が正しくて周りがおかしいと信じて疑わない。ゆえにアーサーは無敵の人と言えるのかもしれない。

ただこの映画と事件には大きな違いがある。加害者に賛同する者の有無だ。映画の中ではジョーカーを貧困層の救世主であり悪のカリスマとして民衆が崇めている。それがアーサーの暴走に拍車をかけた。恐ろしいのはアーサー本人よりも虐げられた者たちの群集心理だ。京都アニメーションの事件で犯人に賛同する者はほとんどいないだろう。故にこの映画と京都アニメーションの事件は同列に語る問題ではないと私は思った。

最後に

後ろの席に座っていたカップルが言った。「笑えないね。」

前に座っていた男子高校生が言った。「めちゃくちゃ面白かった。」

知り合いでもないのでその言葉に込められた様々な考えを聞くことはできなかった。

 

今の平和な日本社会でジョーカーのように賛同を集めるような悪のカリスマが生まれるとは思えないが、それは私が人並みに幸せな人生を過ごしている証なのかもしれない。
ただ人生に悲観して自分以外の誰かが世界を変えてくれることを願っている人間は少なからずいるだろう。その群集心理がジョーカーを生み出してしまう可能性は大いにある。

ただただ、真にアーサーに同情する人間が現れないことを祈るばかりである。